豆腐屋の裏の倉庫

陰口と偏見が織り成すアドベンチャー

駅名記憶向上委員会15周年、おめでとうございました。 ~大事なアニバーサリーに他界隈の動画を引っ張る男~

 お久しぶりです。牛乳豆腐です。先の12月15日、私が制作している動画の核となる部分である「駅名記憶向上委員会」というジャンル(いわゆる「駅名動画」というやつ)が初投稿から15周年を迎えました。私が初めて環境Pさん創始者の方)の動画を見始めたのが2011年頃だったと記憶しているので、そこから数えても11年ほどが経過していると思うととても感慨深いものです。

 さて、先日この15周年を記念し、私と同じ駅名動画制作者であるとばかいさんを主催として2つのメドレー合作が行われました。私もこれらに参加させていただきましたので、今回はその動画について解説していきたいと思います。

 

  • 12月16日投稿「【駅名動画15周年】Re:組曲『エキメイ動画』【合作】」

 

www.youtube.com

 実は参加者であると同時に私も主催陣の一人であったので、提出された動画の確認やパート管理などの業務を一部行っていました。また、そのよしみもあり一日目の動画はオープニングの映像を担当させていただいています。まずはそちらの解説から。

 

 動画の開始から数秒YouTubeのロード画面が入ったのち、駅名動画視聴歴がそこそこの方なら見覚えのあるであろう画面が表示されます。

2007年12月15日投稿(YouTubeでは2008年)、まさに「駅名動画の原点」である

 元ネタはもちろん環境Pさんが最初に投稿した駅名動画初音ミクガンダムSEEDのOP「Believe」で京浜東北線の駅名を歌います。」(https://www.youtube.com/watch?v=A6T0-7XRHwY)です。Windows XPなどに最初から搭載されているおなじみのフォント「MS UI Gothic」で打ち込まれているのだと思うのですが、若干ウェイトが違うことが分かるかと思います。同じ色で縁取ることで少し文字を太く見せるといった調整を加えています(まだまだ太くしても良かったかも)。因みに背景の画像は恐らくご本人が撮影したものではないかと考えており、インターネットのフリー画像としては見つからなかったのでWikimedia Commonsから最も近い構図の画像を引用しました。

 全画面表示だった駅名動画が縮小し、周りに突如としてゴチャゴチャしたものが現れます。これは初投稿の2007年当時に使用されていたYouTubeのレイアウトですね。(もっとも、駅名動画の初投稿はニコニコ動画なのでこのような画面が存在したことはないのですが...)右側の灰色ゾーンの下部、「Message」と書いている部分には本来ソースコード的なものがむき出しで書かれておりインターネット黎明期を彷彿とさせるものとなっています。ただ、如何せん私がそういった類のものに知見がないので何の意味もない文字列に変更せざるを得ませんでした。僕がもっと勉強してたら、コードを読み込むことで文章が浮かび上がる演出とかできたんですけどね~(ママタルト檜原)。

 北浦和まで歌われると同時に、映っている駅名動画のフォーマットがガラッと変わり、それに合わせて周囲のオブジェクト配置も少し変わりました。これが環境Pさんが制作した京浜東北線の動画としては2本目となる亞北ネルガンダムSEEDのOP「Believe」で京浜東北線の駅名を歌います。」(https://www.youtube.com/watch?v=BcV2PEIq4LY)が投稿された2008年4月22日当時に使用されていたYouTubeのレイアウトおよび上記動画の再現です。YouTube側としてはタブの「Categories」が消え、代わりに「Home」が設けられています。また、検索バーの右に新たな窓が出現し、「Movie」「Channels」の2つの項目を分けて検索できるようになりました。

 動画再現の方に目を向けると今でも続く環境Pさんのフォーマットがこの時点で既に完成しており、画面中央部に「HGSゴシックE」で字幕が表示された実家のような安心感がある映像を見ることができます。この動画(とその他数本)に限って言えば、画面左下にボーカルの立ち絵が表示されていて、原作の亞北ネルに対応して本合作で使用したボーカル・朱音イナリに立ってもらいました。右の概要欄に見切れてる「ドーンでダーンで...」という文字列が気になった方もおられると思いますが、これは朱音イナリのイラストおよびボーカル音源を配布しているサイトの名前なんです。はじめに - ドーンでダーンでズドドドーン。

 なおこの区間に関しては背景画像がフリー鉄道画像サイト「裏辺研究所」にて配布されているものであったため、構図も含めてほぼ原作通りに再現できたのではないかなと考えています。

 続いての区間。3本目の京浜東北線の動画初音ミクストライクウィッチーズ2OPで京浜東北根岸線の駅名を歌います。」(https://www.youtube.com/watch?v=wKMjyZm36uc)をもとに、こちらが投稿された2011年12月25日当時の画面レイアウトを再現しました。ちなみにこの画面を制作する際「Wayback Machine」というWebアーカイブを参照したのですが、正直言うと大きく違うレイアウトを拾ってきてしまった可能性が否めません。というのも、私が駅名動画を見始めた時期がこの頃で、あまりにもこの画面の記憶がないのです。この頃と言えばグレーの背景に若干紫がかったYouTubeアイコンがあったイメージがあるので「確実にこれだった」とは言い切れません。ま、これはこれで時間をかけて作っているので許してほしいです...。

 画面右側にはおすすめ動画が表示されるようになりました。これらもこの当時既に公開されていたもので、現在は閲覧ができない懐かしい作品も混ざっていますね。上から順にNh3526さん、RAKUNorthさん、VCRProjectさん、東水快速さんと、初期から駅名動画を支えてきた方々の動画を僭越ながらチョイスさせていただきました。

 再現部分としては最後の部分となる4つ目。こちらは皆さんも記憶に新しいであろう「【駅名記憶】初音ミクがブレイブウイッチーズOPで京浜東北線の駅名を歌います。」(https://www.youtube.com/watch?v=Q02CVKO3KGg)と、最新版のYouTubeレイアウトを再現しています。原作の背景画像は環境Pさん自身で撮影されたものでしたが、フリー画像サイト「写真AC」に殆ど同じとも言える画像があり、ニコニコしながらダウンロードすることに成功しました。右側の動画は上から順にhuminosato1019さん(リメイク作品であり原案は亀戸しおさん)、h jさん、kisukiline120さん、とーぐーさんと、自分が視聴者だった頃バリバリ現役で活躍されていた憧れの作者さん方(個人的に「中堅」と呼んでいます)の動画を選ばせていただきました。

 懐かしさを感じさせる区間が終わったところでここからは完全にオリジナルの部分です。この部分は画像を短いスパンで切り替えることで文字とともに楽しめる構成にしています。なお各写真には注釈がついており、年月日とその日に起きた事象を表示しました。お気づきの方も多いかと思いますが、これは駅名動画という文化が始まった2007年12月15日から現在までの15年間で京浜東北線沿線で起きた主要な出来事(主に交通系)を記しています。こう見ると東京スカイツリーの開業や上野東京ラインの開通、羽田空港第3ターミナルの供用開始など、目まぐるしく時代が変わったこと、15年というあっという間ながら意外にも長い時が経っていたことなどを感じます。

 折角の周年合作のオープニング、どうせなら今までの動画にも引っかけて何かしたいと考えながら構成を練っていたら、いつの間にか思い出ボムが完成してしまいました。15年分の歴史を1分間でできるだけ表現することはできたんじゃないかな、と個人的には満足いく作りになったと思っています。

 

  • 12月17日投稿「【駅名動画15周年】アナザー組曲『エキメイ動画』【合作】」

www.youtube.com

 続いて私がパート制作者として参加した2日目の合作に焦点を当て、演出の解説などを行っていこうと思います。



 本来当合作はパートと参加者のみの公開で誰がどの路線をやっているかは分からない仕組みになっていたのですが、先述の通り私は主催陣でありパート表が見放題だったので「前パートとの繋ぎを作ってみよう」となりました。一つ前のパートはS.Mizuhoさんつくばエクスプレスだったので、つくば市と自パートで扱っている神戸市営地下鉄西神・山手線沿線の共通点「学園都市」を見出し、つくばエクスプレス駅名標を題材としたオブジェクトを作ってみました。つくばエクスプレスは2005年開業、学園都市駅のある西神延伸線は1985年開業なので「since」と2桁の数字を表示することで駅ナンバリングの代わりとしています。中央部のナンバリングは代用しようがなかったのでとりあえず本合作のコンセプト「15周年」としておきました。

 また、駅名標の後ろで行われているシーンチェンジは2021年7月投稿の下車合作「【合作】テツドウ動画摩電楼」(https://www.nicovideo.jp/watch/sm39023861)のJR神戸線パートを参考にしています。次のシーンもあるのでそれと同じ方向から作用する入りにしたいと思ったところこの動画を思い出した次第です。

元ネタ動画、Rokkanさん制作

 ここから本編が始まります。今回の動画制作にあたり11月14日、心のふるさと・神戸に行ってきました。神戸市は人生最高タウンなので地元の隣の県とかその辺よりも心理的距離が近く、常に通い続けたいし住みたい街なのですが、まあそんな話はさておき。実は10周年の時に私が主催した合作「【駅名動画10周年】組曲「エキメイ動画」【合作】」(https://www.youtube.com/watch?v=Hi5OBWi5Clg)では同じ秒数から始まるパートで同じ区間を歌っており、今回の合作はそのアンサーソング(?)的な立ち位置に当たります。前作が公開された2017年はちょうど神戸市交通局100周年の年でもあり、すべての車両の前面に記念ヘッドマークが掲出されていました。また、5年の間で車両はほぼ最新鋭の6000系に置き換えられてしまったので「これは素材を撮り直さないといけないな」と思い足を運びました。時代の移り変わりを表現する材料としてはもってこいだったのでちょうど良い機会でした。

 西神中央から学園都市までの区間では画面を細長く分割しそれぞれの駅で撮影した映像を流す構成となっています。ここでのこだわりポイントは「左から右へ発車する映像」と「左から右へ入線する映像」を交互に差し込むことで、車両先頭部が左右互い違いになりバランスが取れるというところです。因みに全く意識していなかったのですが、これと全く同じ構成を過去にしれっと参加した大変な途中下車シリーズの内輪合作でやっていたことに気が付きました。せっかくなので宣伝しておきます。→救済“salvation” - ニコニコ動画

 総合運動公園の区間は改札を出て撮影した映像を使用することで一瞬ではありますが沿線の紹介をするパートになっています。ここでは神戸市総合運動公園内の野球場ほっともっとフィールド神戸が映っています。野球ファンの間では「ほもフィー」と略されることもしばしばあるこの球場はプロ野球チームオリックス・バファローズがまだオリックス・ブルーウェーブだった頃に本拠地として使用しており(当時の名称はグリーンスタジアム神戸)、現在も年に数回主催試合を行っています。オリックスは2022年シーズンにパ・リーグで優勝したこともあり駅前の掲示板には優勝を祝うポスターが多く掲載されていました。リーグ優勝後に行われる「クライマックスシリーズ」で贔屓球団である東京ヤクルトスワローズ叩き潰された私にとっては苦痛のポスターでしかなかったんですけどもね。ちなみに構内での入線映像は前作で使用した映像と同じ立ち位置で撮影していて、途中で車両が切り替わる演出も考えていました。

 名谷から妙法寺にかけての区間。2駅の駅名標がイージング回転により切り替わるシーンで、前作のリスペクトとなっています。なお、回転の向きは前作とは逆です(合わせたと思ったら逆になってたってだけ)
 総合運動公園からここまでにかけての文字オブジェクトは2020年3月に行われた大変な途中下車シリーズの合作「【みんなで】七色のチカテツ動画【もう一度】」(https://www.nicovideo.jp/watch/sm36502724)の東京メトロ銀座線パートを参考にしています。四角形にわざとズラして文字を配置しているのが推しポイントですね。本当は完全に切り抜いても良かったのですが元ネタ動画とは違い画面が明るくて背景と同化して見えにくいため、文字の部分を若干黒くしてみました。

元ネタ動画、anneさん制作

 妙法寺から板宿までの間のシーン。下奥から板宿駅駅名標がいくつも出てきます。地下区間にある島式ホームの駅では正面の壁にラインカラーが引かれ、等間隔に駅名標が設置された構造になっています。また、駅名標はアルファベットや隣の駅が表示されたものも配置されていますが、ここではよりシンプルな漢字のみ表示されたものを採用しています。このシーンにも元ネタがあります。それがこちら。

元ネタ動画、EastMtさん制作

 下車作者のEastMtさんが2020年12月に制作された一人合作動画「【日本縦断】 TRIPMAD's 20 【CTSKOJ】」(https://www.nicovideo.jp/watch/sm37990219)のワンシーンです。JR北海道駅名標が勢いよく下から飛び出す特徴的な映像構成ですね。明確にここから取ろうとしたわけではないのですが、頭の片隅にこういった映像が残っていて、自パートの制作後に思い出してみたらここに辿り着いたという感じでした。

 続いて個人的にこのパートの核だなと思っている板宿から湊川公園にかけての区間。各駅に関連する映像が書道チックな文字とともに和紙の上に塗り広げられていきます。字幕の色が駅ごとに異なるとところに前作イズムを継承していますが、本作では明確に色の理由があります。非常にわかりやすい手法ではありますがこれらは「乗り換え路線」の色になっているわけです。板宿は山陽電車オレンジ系、新長田は神戸市営海岸線とJR神戸線青系、長田は神戸高速鉄道区間に入るため地下を意識した灰色系、上沢は乗り換えが無いので自路線の緑系、最後に湊川公園神戸電鉄赤系という感じですね。この部分の映像は他者様からの影響はあまり受けていないと思っていましたが、根底を考えてみると私の推しアーティストである「ヨルシカ」の中で最も好きな楽曲「藍二乗」のMVサビ部分における、画面全体にインクを垂らしたようなシーンに行き着きました。その演出が本当に好きでJR芸備線他の動画や寝台特急あかつきの動画など、これまで様々な動画で取り入れてきた経験もあります。ヨルシカ - 藍二乗 (Music Video) - YouTube

 終わりに差し掛かる頃である大倉山から三宮までの区間。地下で撮影した入線・発車・その他もろもろの映像をふんだんに使用しています。「一目見ただけでは何が何だかわからないけどとりあえず素材量が凄い」みたいな動画を作りたかったのでこちらで実践してみました。切り替えにシーンチェンジを使用せず合成モードを「輝度」や「比較」などに変更して2映像を同時に表示する方法は最近ほかの動画でも取り入れがちですね。素材の中で推しなのは上記画像にもある時計のものです。ちょうど分を刻むシーンを撮影するために運が悪いと数十秒棒立ちする必要がありますが、何かで使いたいと思い同様のシーンを各鉄道路線で集めているので自分が行ったところは大抵この素材を撮影済みです。あとこれ朝の7時です。確か長田神社前か上沢あたりの素材だったかと思いますが三宮には5時半ぐらいに着いてます。間の各駅で降りて数パターン素材を撮影しているので5駅ぐらいで2時間弱かかってますね。気合い入りすぎでしょ。

 ちなみにこのシーンで参考にした動画は先ほども登場した「【合作】テツドウ動画摩電楼」阪神電車パートです。漢字の後ろにアルファベットを置いているところとかは参考とかではなくもうパクリレベルなので訴えられてもおかしくありません。

元ネタ動画、anneさん制作

 足元のドア位置表示が両端に配置されているところや1種類の色系統で統一されていて散らかっていないところなど本当にデザインが洗練されていて、掘り下げるとコメントするところがたくさんありますよね。

 やっと最後のシーンに入りました。三宮から谷上までの区間では先ほどのシーンの字幕の雰囲気を残したまま真ん中に集約しています。ここのフォーマットが大きく変わっていない理由は簡単、先ほどと同じ動画を参考にしているからです。これもほぼパクリ。自分にできるアレンジは周りの素材をできるだけ増やすことくらいでした。最初は上下に白帯まで置くつもりでしたが、流石にと思ってやめた記憶があります。

元ネタ動画、anneさん制作

 以上、久しぶりに開催されたメドレー合作で気合を入れまくった結果、ほぼ下車インスパイア系ラーメン屋さんになってしまいましたという話でした。基本的にこういった合作では駅名動画以外を参考にして作ることが多く、あまりにもやりすぎると今回みたいに下車だけ見続けるという事態が起きます。参考にする場所はもっとあると思うので次はニコニコ動画の音MADの海を泳いでくることにでもしましょうかね。

 今回15周年という節目にこのような合作に参加できたことを光栄に思っています。また大規模なメドレー合作が開催されて、それに参加できる機会があれば嬉しいですね。

 駅名動画は進化を繰り返して確実に次の時代へと向かい続けています。未来の駅名作者の登場を楽しみにしながら、これからの駅名記憶向上委員会における益々の発展を祈って私は再び洞窟に籠って細々と生き続けることにします。ここまで長々とした文章にお付き合いいただきありがとうございました。それでは、また。

「西鉄北九州線」を復活させたい! ~北九州電気軌道 vol.1~

 こんにちは、牛乳豆腐です。ブログの更新は約2か月ぶりとなりますが、私が行っている架空鉄道について更新がありましたので押しつけがましくご報告したいと思います。

 私は福岡県北九州市の出身で現在に至るまで20年間ずっとこの街で暮らしています。世間では修羅の国と呼ばれているほど治安の悪いイメージがある北九州ですが、鬼が出ないのは勿論のこと、棘付きの肩パッドを装備した世紀末みたいなモヒカン連中もいません(まあ、鍵をかけた自転車が自宅の駐輪場で盗まれるぐらいの治安ではありますが)し、飲食には困らない上遊びに行けるような施設もそこそこあるので個人的にはいい街だと思っています

 そんな北九州市の交通はどのようなものかというと、東西に走るJR鹿児島本線を軸に大分方面にJR日豊本線、若松・直方方面にJR筑豊本線、田川方面にJR日田彦山線が伸びており、私鉄としては小倉駅から南に伸びる北九州モノレール、黒崎と直方市を八幡西区のニュータウン地域を経由して結ぶ路面電車規格の筑豊電気鉄道門司港地区の観光トロッコである平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線があります。また、現在鉄道が通っていない地域は西鉄バス北九州市交通局がバス輸送を担っており、福岡市と並んでバス大国となっています。実はこの街には2000年まで西鉄北九州線という名前の路面電車が走っており、京都市電廃止後から暫くの間日本最大規模の路面電車でした。2000年というと私が生まれる前のことなのでこの存在を直接目視したことはないのですが、今になって考えるとこの電車、非常に便利だと思うのです。というのも、門司・小倉・戸畑・黒崎と北九州市の主要拠点を抑えたうえに学校が立ち並ぶ到津・中原付近や新興住宅地となっている八幡東区高見付近に線路を持つため、通勤通学輸送や娯楽輸送に長けているのです。これらの路線はモータリゼーションの波にが押し寄せたことにより廃止となっていますが、現在も路面電車と共存の道を選んでいる九州の他都市や広島・富山・札幌などを見ると、手を加えれば存続の道をとれたのではないかと考えています。

 そういった経緯を踏まえながらこの西鉄北九州線存続計画のタネができたのが既に5年ほど前。忘れかけていたものを久々に思い出して昨年ごろから再始動させていたのですが、ついにその基盤となる路線図が完成しましたので発表しようと思います。

 

  • 新会社 ”北九州電気軌道”について

今回の記事についてはwikipediaのページ「西鉄北九州線」を閲覧しながら読んでいただくことを推奨します。→ 西鉄北九州線 - Wikipedia

また、新会社の路線・駅マップを空想鉄道様のページで作成しておりますのでそちらもご覧ください。 → https://railway.chi-zu.net/176229.html

 西鉄北九州線は門司(現在の門司港地区北端部)~折尾の北九州本線、大門~戸畑(若戸大橋直下付近)の戸畑線、幸町~中央町の枝光線、魚町~北方の北方線という4路線の総称であり、前述の筑豊電気鉄道は北九州本線に直通し途中の熊西から分岐する支線的な役割でした。他路線が標準軌である中、前身の会社が異なる背景から唯一狭軌での運行となっていた北方線が1980年に廃止になると、続くように本線の門司~砂津および戸畑線・枝光線が1985年に、砂津~黒崎駅前が1992年に、熊西~折尾が2000年に廃止となり、残った黒崎駅前~熊西が2015年に正式に筑豊電気鉄道の路線となり、西鉄発祥の地である北九州からその線路が完全に消えることとなりました。

 今回は本来であれば大幅に規模が縮小される1985年時点で、既に廃止となっている北方線(代替交通として北九州モノレールが開業)を除いた各路線を西日本鉄道から独立させ、子会社である筑豊電気鉄道と合併させることで新たな鉄道会社「北九州電気軌道」(愛称:北九電車)を設立します。この段階で本社は車庫があった砂津に置かれますが、後の1995年に砂津車庫閉鎖に伴う車庫機能の移転で本社も到津車庫隣接地に移ります。(砂津車庫跡地には史実通りショッピング施設「チャチャタウン小倉」が建設されます。こいつがないと市民として暇なので無理やり車庫を移しました。)その3年後1998年にはJR小倉新駅ターミナルビルが完成し、北九州モノレール小倉駅延伸と共に駅前地区が整備されたことで北九電車も小倉駅乗り入れを果たします。これ以降は半数以上の列車が小倉駅前交差点に敷設されたデルタ線を介して小倉駅バスセンター付近にある1面1線(支線自体は複線)の小倉駅停留所を経由するようになります。

 

  • 路線図ができた

 会社および路線の沿革については後々別の回でお話しするとして、途中の経緯を加味した2022年時点の路線図がこちら。

f:id:milktofu_415:20220216173015p:plain

北九州電気軌道 全区間路線図


車内ドア上部に設置している想定で作成しておりますのでかなり横長になっています。

画像が見づらい場合こちらをご覧ください。(Googleドライブに飛びます)→

KitakyushuErectricRailway_Map.png - Google ドライブ

 最盛期に9つあった系統を5系統に集約し、利用が多いと想定される系統のみ残しています。またこれに伴い中央町デルタ線の北→東を結ぶ定期列車がなくなりましたが、枝光線から到津車庫への回送列車や不定期で設定される北九州市総合体育館や到津の森公園方面への臨時列車が使用するため廃止にはしておりません。またこの中央町は上記のデルタ線を挟み西・東・北にそれぞれ乗り場が分かれていましたが、1999年に東田地区が開発されることに伴い北側乗り場を廃止して西側の乗り場に統合、枝光線と本線の乗り換えが同じ乗り場でできる構造になっています。一方で東側乗り場は「八幡東区役所下」停留所として独立させ、同名の停留所に二度停車することで発生する誤乗を防止しています。

 当社では区間運転を行う列車も系統番号を分けず、全区間を走行する列車と同系統とみなしています。そのため路線図ではA系統が門司車庫前(1992年の新車庫完成時に門司から改称)~折尾の通し運転となっていますが、日中に同区間を走破する運用はなく、門司車庫前発は到津車庫前で、折尾発は砂津で折り返す運用になっています(とさでん交通の後免線・伊野線のようなダイヤ設定)。B系統は列車の約半数が市立門司病院前までの運用で、門司車庫前方面はこの停留所を境に本数が減少する形です。C系統は戸畑線・枝光線を経由して小倉と中央町を結ぶ列車です。臨時ダイヤでは黒崎駅前・折尾まで運転することがあるため経由地に注意する必要があります。D系統は戸畑渡場(1999年に戸畑から改称)と折尾を枝光線経由で結ぶ列車です。一部列車には黒崎駅前で後述のE系統になり筑豊線へ直通するものもあります。E系統筑豊線黒崎駅前と筑豊線新中間(1985年筑豊中間から改称)・楠橋・新直方(1985年筑豊直方から改称)間で運転される列車です。朝夕は黒崎駅前でD系統戸畑渡場行になるほか、砂津まで延長運転されるものもあります。

 路線図内の赤色で示された停留所は日中ダイヤの折り返し駅となるものです。ここに表示されている停留所以外にも、門司駅前・大門・幸町・八幡駅前・三ヶ森でも折り返しが可能であり、日中時間帯以外や臨時ダイヤで折り返しが発生する場合があります。

 北九州電気軌道記事の初回である今回は皆さんに全体像を把握していただくため、路線図とダイヤについて書かせていただきました。すでにマニアックな記事ではありますが、今後は沿革や駅紹介などさらにコアな部分について記述していこうと思いますので、他人の架空鉄道話に興味があるというごく少数の方は今後の更新に期待していただけると幸いです。

「脳内樺太地図」が完成しました

 お久しぶりです、牛乳豆腐です。今回半年ぶりにはてなブログの画面を開いた理由はほかでもなく、

 

私の"脳内樺太地図"を皆さんに見せびらかしたかったからです。

 

 そもそも皆さんは「樺太」という地域が日本の北にあるのはご存知ですか。この樺太(からふと)というのは北海道のさらに北、オホーツク海に浮かぶ縦長~い島であり、西側の間宮海峡を挟んでロシア連邦と接しています。この地は1946年までは北緯50度線を境に南北に分割されており、北半分をソ連(現在はロシア)が、南半分を日本が統治していました。太平洋戦争の終戦後は日本の行政権が停止されたために南側は国際法上帰属先が未定となっています。

 

では、この地がそのまま日本の領地として残っていたら?...面白くない?

 

 そう、私がかれこれ4年以上行っている妄想というのは南樺太が日本の土地として今現在まで残っている世界線という非常に心躍る(一部の人だけだろうね)ものなのです。

 といっても脳内樺太は結構大手の妄想なので、私よりも遥か昔から本気で似たようなことに取り組んでいる方々もおられます。私は「人間の心にはそれぞれ別の樺太が存在している」と考えていますので、他の方が同様のことをされていても口出しすることはありません。ですから読者の皆さんもここに書いてあることが主流の考えとは思わずに、他の方々の脳内樺太とは別物として見ていただけると幸いです。

 

 

 さて、ここからが本題となります。今回は少しでも私の脳内樺太について知っていただきたく、基本情報となる自治体と位置関係を表した地図を制作してきました。

 日本が南樺太を手放す直前である1946年頃の樺太はとにかく一自治体の面積が大きかったため、どうしても細々とした市町村が乱立していた戦後日本とは似ても似つかない姿になってしまうのです。私は根っからの現実主義者なので、あの広大な土地をどのように分割すれば現代の日本っぽいかを試行錯誤しました。その結果として思いついたのが、

法の力で自治体を倍に増やすことでした。

これは、戦後の復興および更なる発展のため1946年に「樺太自治特例法」という法律を発布し、各自治体が管理する面積を縮小することで地域に密着した行政が行えるようにするものです。そんなことしたら何かほかの憲法とかに違反しそうなもんですが、如何せん法律に関しては全くの知識がありませんのでスルーさせてください。

 この結果1946年~1948年の3年間で自治体を2~3倍ほど増加させることができ、だだっ広いだけの自治体を減らすことができました。私の脳内樺太はこういった背景を持つため、2021年時点の自治体数が戦前よりも多いみたいなことが発生しています。現在時点でのリアリティを重要視した結果だから許してね。

 

で、そうやってできた2021年現在の地図がこちら。

f:id:milktofu_415:20211217000333j:plain

南樺太自治体全図(2021年)

 ここまで増やしてもまだ一自治体の面積が500㎢とかそんなのもあるのですが、北海道に近いような分け方になりました。「市多くね?」となると思いますが、樺太庁全体の人口が約863万人、庁都道府県の人口ランキングでは大阪府に次いで第4位(この記事を書くときに初めて全体の人口を計算したのですが、流石に多すぎる気もするので後々修正しておきます)になります。代表的な都市を挙げると、中心の豊原市は12の区を持つ政令指定都市で人口約160万、第二の都市恵須取市は単独で約27万、恵須取都市圏を構成する周辺の5自治体を合わせると57万人ほどになります。

 

「町を表記するのであれば郡を書くのが礼儀だろ」という過激派郡マニアの方々のためにこちらも用意しています。

f:id:milktofu_415:20211216232243j:plain

南樺太自治体全図(郡名のみ/2021年)

 赤、青、黄、緑で着色されている範囲が町村の領域で、その各町村が所属する郡を上から表記しています。こちらも戦前から比べると郡の数が1.5倍ほどに増えていますが、特例法発布の際に郡の細分化を同時に行った結果になります。黄緑の部分は市であり現在郡には所属してませんが、合併前や市昇格前にはこちらの各郡に所属していました(一部消滅した郡あり)。

 

 樺太庁を分割して説明する方法は市町村や郡だけではありません。これだけ土地が広いわけですから、各地域を「県」のような規模に分けて行政が行われており、その役割を担っているのが「支庁」になります。この仕組みは戦前に実際に行われていたものであり、身近なものだと北海道でも2009年までこの名前が使用されていました(現在は再編されて「振興局」という名称になりました)。

f:id:milktofu_415:20211216233229j:plain

南樺太自治体全図(支庁のみ/2021年)

 人口増加に伴い留多加支庁・北豊支庁・南豊支庁(豊原市役所と同一組織)・泊居支庁・知取支庁が誕生していますが、概ね戦前のものと組織は変わっていません。こちらは都道府県と違い、住所表記の際に書く必要はありません。

 

 現在の樺太における基本的な地域情報はこの3つの図で掴めると思います。これから樺太のお話をするときは地域の説明をすっ飛ばして本題に入る恐れがありますので、文章を読んでいてわからなくなったらこちらに戻って確認してみてください。

 

 

  • おまけがあるらしい

 なんか遊んでたらこんなのができちゃいました。

f:id:milktofu_415:20211217001106j:plain

南樺太自治体全図(1995年)

 日本に所属している関係上どうしても平成の大合併というものが行われるわけで。2000年に「基礎的自治体の強化の視点で、市町村合併後の自治体数を1000を目標とする」という方針で地方交付税の削減や合併自治体に対する手厚い補助の結果、2000年代を中心に日本の各地で市町村合併が相次いだことを指します。樺太庁内でも同様の動きがみられ、計19の市町村合併が起こります。「どこやねん」って話だと思うので一応書いておきます(気が向いたら年月日でも決めてその順番に並び替えておきます)。

 

~2000年以降の市町村合併一覧(役所設置地域を最前部に表記)~

  • 大泊市+大泊郡深海町=大泊市(編入
  • 長浜郡弥満村皆別村=知床町(新設)
  • 相浜市+相川郡小田町=相浜市(編入
  • 白縫市+白縫郡花山町=白縫市(新設)
  • 相川郡窓島町+美保町+南寒村=水郷市(新設)
  • 留多加市+留多加郡大豊町+雨龍山町(編入
  • 岬東郡菱取町+雨龍町=岬東郡雨龍町(新設)
  • 岬東郡霧立町+大吠町=岬東郡あにわ町(新設)
  • 本斗市+本斗郡阿幸町+海馬村=本斗市(編入
  • 野田郡野田町+朝日町=西陽市(新設)
  • 泊居市+泊居郡追手町+奥沢町=泊居市(新設)
  • 三浜郡恵比須町+萌菱町=三浜郡美海町(新設)
  • 恵須取市+恵須取郡白坂町=恵須取市(編入
  • 鵜城郡鵜城町+来知志町=鵜城郡鵜城町(新設)
  • 名好郡西柵丹町+沃内村=名好郡西柵丹町(編入
  • 知取市+知取郡遠礼町=知取市(編入
  • 元泊郡泊町+樫保町=元泊市(新設)
  • 幌内郡気屯町+古屯町+千輪町+武意加町=北樺市(新設)
  • 幌内郡大木町+初問町=幌内郡初問町(新設)

 

ここに書いてある内容は意図せず変更になる場合があります。というか高確率でそうなると思います。なるべく途中変更がないように最初から綺麗にしておきたいんですけどね。では、続きのお話はまた。

祐徳電気鉄道という小さな会社を掘り下げてみよう

先日、SSB樺太あおぞら放送のチャンネルにて『「オレンジ」で祐徳電気鉄道の駅名を歌う』という動画を投稿させていただきました。

www.youtube.com

これはいわゆる架空鉄道というやつで、「この地域に鉄道があったらどんなルートを通ってどこに駅が置かれるかな」などというのを妄想するものです。駅名動画を見る方々は一回は必ずやったことがあるかと思いますが、今回はそれを動画にしてみたという次第です。折角作ったのに視聴者の方々は分からないというのももったいないと思ったので現在時点で決まっている設定をいくつかご紹介したいと思います。

 

ちなみに、この記事を読まれる際はwikipediaの「祐徳軌道」「肥前電気鉄道」の項目と祐徳電気鉄道のルートマップを閲覧しながらだとより理解が深まると思います。

祐徳軌道 - Wikipedia

肥前電気鉄道 - Wikipedia

空想鉄道(ルートマップ)

 

  • 実在した2つの会社

この会社は私が完全に創作したというわけではありません。古くはこの地に「祐徳軌道」「肥前電気鉄道」という2つの会社が存在しました。鉄道院の長崎本線早岐・大村を経由していた(現在の佐世保線大村線にあたる区間)頃鹿島や嬉野といった藤津郡周辺は鉄道空白地帯であったため、長崎本線と接続できる武雄を起点に塩田・鹿島を経由し祐徳稲荷神社に至る参拝鉄道が建設されました。これが「祐徳軌道」です。この鉄道が開業した5年後、途中の塩田から分岐して嬉野温泉に至る「肥前電気鉄道」が開通し、旅客輸送が始まったとされています。

この2社は1930年の有明線(現在の長崎本線肥前山口諫早間)肥前山口肥前浜開業によって利用客が激減、翌年に廃止となってしまいます。

 

では、この2社が廃止にならずに現存していたらどうなっていたのでしょう?ここから始まるのが私の架空ストーリーです。

 

  • まずは力を合わせよう

おそらくこのままの状態では助成金が降りても廃止までは秒読みでしょう。ということでこの2社を合併させます。「祐徳稲荷神社」の要素を社名に残すことで少しでも参拝客を集めたいので、新たな社名は双方の名前を半分ずつ取って「祐徳電気鉄道」としました。旧祐徳軌道の路線を「祐徳線」、旧肥前電気鉄道の路線を「嬉野線」と呼称することにします。

ちなみにこの2線は接続していただけで線路規格も設備も全然違います。祐徳線は「軌道」という名前から分かる通り軌間914mmかつ非電化の馬車軌道由来の路線で、嬉野線は軌間1067mm・直流600Vの文字通りの電鉄線でした。最初に行わなければならないのは規格の統一でしょう。次世代の鉄道に肩を並べられるよう嬉野線の規格に統一、1950年までに祐徳線の電化と改軌を行いました。また、同時進行で駅の移設を行い、浜(現:大村方)・小舟津(現:泉通り)・上野(現:郷ノ木)・永島(現:宇宙科学館前)が1947年に、馬場先(現:白岩公園前)・松原(現:武雄高校前)が1950年に移設されました。

所在地が変更されることから移設と同じタイミングでほとんどの駅名が改称されていますが、馬場先だけ改称が1975年と遅かった理由に移設時点で既に「馬場先」という地名が消滅しており移設による影響がなかったためとされています(のちに武雄駅前の改称とともに現駅名に変更)。

 

  • 二度の経路変更

ルートマップをご覧になった方は鹿島付近・塩田付近の短い線路が気になるかと思います。これは二度にわたる経路変更で廃止になった区間です。

第一期は1959年の鹿島(現:電鉄鹿島)~五ノ宮間における工事で、高規格の車両を導入する際に旧線区間の急カーブがネックとなるために緩やかな線形にしたものです。旧線には北鹿島という駅が存在しておりこの工事で廃止を余儀なくされましたが、バスの本数増加により対応しています。

第二期は1962年の五町田(現:電鉄塩田)~宮ノ元間における工事で、こちらは拠点である鹿島から嬉野方面へスイッチバックすることなく通過できるよう嬉野線の起点を塩田(現:本塩田)から五町田に変更するというものです。この工事を機に五町田・塩田の駅名改称が行われていますが、これが行われる直前の動画をなぜか作ってしまったのでそちらも参照してみてください。

www.youtube.com

 

1962年版の動画を見ていただくと分かる通り、本編よりも少し区間が長くなっていますね。これらは現在までの間に廃止になった区間になります。

先に廃止されたのが1968年の祐徳線武雄駅前(現:電鉄武雄)~高橋間。この区間国鉄佐世保線と完全に並走しており、運行頻度もあまり変わらないことから廃止となりました。この区間の廃止で会社合併前から存在した路線が廃止になるのは計4度目(合併前の祐徳軌道新渡支線・先述の経路変更2回)となります。

次に廃止となったのが1991年の嬉野線嬉野温泉~彼杵間です。この区間は佐賀・長崎県境の俵坂峠を越えるルートで線形が悪く、利用者も極端に少なかったことから廃止となりました。現在はバスによる輸送が行われています。余談ではありますが、この廃止で路線図が一新されることに際してバスセンター前→電鉄鹿島、祐徳門前→祐徳神社前の改称が行われています。

1991年以降は現在の運行形態となり、祐徳神社前発の電鉄武雄行/嬉野温泉行が交互に発着、途中の電鉄塩田で武雄行/嬉野行/神社前行の三方面が同時発着するようになりました。

 

  • 年表

つらつらと文章を書いてもいろいろと分かりづらいでしょうから、簡単な年表に纏めてみました。合併以前についてはそれぞれの会社のページをご覧ください。

f:id:milktofu_415:20210731205016p:plain

 

今回はとりあえず歴史編ということでこんなところにしておきましょう。運用とか車両とか、そういった話はまた気が向いたら書いてみようかなと思います。では、また。

駅名動画に100%必要ない「捏造」という作業のお話

 

お久しぶりです。牛乳豆腐です。

私が駅名動画を作り始めてからかれこれ6年程経とうとしているのですが、ここまで続けていると自分の動画に対する主義というか掟というか、いわゆる「ここは譲れない」みたいな決まり事が生まれてくるんですね。

「このアーティストの楽曲には必ずこのボーカルを使用する」だとか「このアニメーションに掛ける時間は何秒でどのように登場させて...」だとか皆さんにも少なからず一つはあるのではないかなと思います。

私はそのようなルールが脳内で凝り固まった結果、こんなことを考えるようになってしまいました。

 

「もう走ってない電車の写真とか使いたくなくね?」

 

これは私の根っからの現実主義な部分が大きく絡んでいて、動画を制作・投稿した時点で実在する鉄道車両でなければその動画に使用したくないという醜いプライドなわけです。

 

駅名動画というものは背景として動画内容に関連する写真を用いるのが定説になっていますよね。(最近は写真を使わなくてもスタイリッシュに魅せられるバケモンみたいな動画もありますがそれはまた別のお話)

一般的に、wikipediaで特定の鉄道路線を検索するとそのページのトップに出てくるものが背景写真として使用される場合が多いのですが、中途半端に鉄道知識を入れてしまった私はその写真が「本当にその車両が今も走っているのか?」といったようなシンキングタイムを挟んでしまうのです。そしてもし走っていなかった場合、その写真は私の中で「使えない写真」として扱われるようになります。

 

というのも、wikipediaのトップ写真は路線によって10年以上変更されていないものも多く、そこから現在までの間に当該の鉄道車両の引退、他線区への転属、機器更新などが行われている場合が多々あります。そのため、あまり目を向けられない路線を題材とした動画を作るときは「使える写真」探しにある程度の時間をかけています。

 

では、どれだけ探しても「使える写真」が見つからなかったときはどうしましょう。普通は妥協して「使えない写真」を使ったり動画制作自体を諦めたりしますよね。しかしプライドが天井を突き破っている私としてはどちらも避けたい。そこで辿り着いた先が今回ご説明する「捏造」というものになります。

 

  • 捏造ってなに?

ねつぞう【捏造】- 本当は無いことを、事実であるかのように作り上げること。(新明解国語辞典 第五版 - 三省堂より引用)

この言葉になぞらえ、先述の「使えない写真」を画像編集によって現在の姿に変えることで「使える写真」にしようというものです。

GoogleTwitterでの画像検索で現在の姿を調べておき、それをもとに表示されている行先の変更(駅名改称による)、行先方向幕の三色/フルカラーLED化(機器更新による)、前照灯のLED化(同上)などを行うのが主な業務です。

 

  • 使用実績

文章で説明するよりも実物を見てもらう方が早いので、例として一つご紹介します。

f:id:milktofu_415:20210717162739j:plain

wikimedia commonsより引用 - 特急ソニック様(一部改変済)

 

こちらは7月17日に投稿した『aiko「カブトムシ」でJR関西本線の駅名を歌う』 https://www.youtube.com/watch?v=l_DirerA70g)で使用した画像です。一見すると普通の201系の画像ですよね。

しかしこの画像、撮影年が2007年であり、元画像には決定的に使えない要素があります。それがこちら。

f:id:milktofu_415:20210717163612j:plain

wikimedia commonsより引用 - 特急ソニック様(元画像)

 

行先表示器が紙幕なんですよね。現在この線区を走行する201系はすべてLED表示器に変更されているため、この状態の編成を目撃することはできません。もしLEDになっていない編成がいたとしても、大和路線を含むアーバンネットワーク全域では路線記号の使用が始まったことで方向幕にも路線記号が併記されるようになったため、二段構えで「使えない」要因が待ち受けているということになります。

 

このような捏造は、主に「当時シリーズ」という「特定の鉄道路線を〇〇年当時の駅名で歌う」動画で行うことがほとんどで、時代が古ければ古いほど使える画像が少ない現状において有効な打開策になっています。

f:id:milktofu_415:20210717165006j:plainwikimedia commonsより引用 - gohachiyasu1214様(一部改変済)

 

こちらの画像はサブ垢同居人のチャンネルから投稿されている『【1972】「月を探して」で寝台特急月光のルートの駅名を歌う』(https://www.youtube.com/watch?v=QdNc9M_I4qc)で使用した画像ですが、この動画の題材になっている「月光」という列車は583系による電車寝台の先駆けとなった列車にも関わらず運行年数の短さから当時の画像が全くありませんでした。もちろんこの列車のテーマは「月光」ですから、最低限タイトル部分とサムネイル用に2枚は画像が欲しくなります。
これには困りものでしたが、同じ車両で運行されていた「金星」という列車の画像を利用し、そのトレインマークを九州鉄道記念館に保存されている「月光」のものに書き換えることでなんとか乗り切ったというわけです。

f:id:milktofu_415:20210717165346j:plain

wikimedia commonsより引用 - gohachiyasu1214様(元画像)

 

  • 捏造ってどうやるの?

よほどの変人でないと実践してみようなんて考えないとは思いますが、一応ノウハウを書き記しておきます。この技術はウソ電と呼ばれる「実在しない鉄道車両を生み出す鉄道趣味」にも応用できると思うので、よければ参考にしてみてください。

 

私は「GIMP2」というフリーの画像編集ソフトを使って捏造を繰り返しています。

 

GIMPの使い方とダウンロード方法はこちら~

jbjbgame.com

フリーソフトながら非常に使い勝手が良く、画像の切り抜きや色調補正など様々なツールを利用できます。

 

 まず初めに「使えない写真」(元画像)と、上から被せる用の写真(最新画像)の2種類を用意します。この時、2枚の写真は似たような角度であると編集しやすくなります。今回は両端の駅が同時に駅名改称を行ったことで突然ほとんどの画像が使えない写真化してしまった絶望的な路線・阪急電鉄京都本線より、9300系の行先を「河原町」から「京都河原町」に変更する作業をしたいと思います。

f:id:milktofu_415:20210717173312j:plain

f:id:milktofu_415:20210717173725j:plain

wikimedia commonsより引用 - oonnuuoo様(上/以下「素材」)

wikimedia commonsより引用 - Juliet・Nanami様(下/以下「供給元」)

捏造の素材となる上の画像、素材供給元となる下の画像をGIMPの「ファイル→開く/インポート」で両方とも開きます。

f:id:milktofu_415:20210717174115j:plain


すると、選択した写真がタブのような形で同時に開くことができ、自由に行き来できるようになります。

次に供給元を開いた状態で左上のツールボックスから「自由選択」を選び、行先の部分だけ選択します。この「自由選択」はクリックで点を複数打つことで選択範囲を決めるモードで、非常に自由度が高いのでオススメです。

選択した範囲を右クリックで「編集→コピー」、素材の方に戻り、「貼り付け」ます。

f:id:milktofu_415:20210717175137j:plain

 素材の方向幕があった位置に重ねることはできましたが、これでは大きさや色が少し違うのでまだ違和感がありますね。

次に行う作業が大きさと角度の調整です。ツールボックス「拡大・縮小」「回転」「統合変形」を使用することでそれぞれの調整が行えます。機能の詳しい部分や使い方については今回は割愛します。

f:id:milktofu_415:20210717175955j:plain

角度と大きさの調整を行いました。あとは周りの黒い部分が邪魔なので、その部分を消す作業です。「消しゴム」を選択し、黒い部分を慎重に消していきます。

ここで、LEDの色味を合わせるためにメニューバーの「色」から「彩度」色温度を調整することで、より違和感のない画像を作ることができます。

そして完成した画像がこちら。

f:id:milktofu_415:20210717181102j:plain

イイ感じじゃないですか。これで「使える画像」になりました。(もっとも、阪急とかいう会社は頻繁に顔を変えたり中間車を抜いたりするので本当に使えるかはわかりませんが...)

これを応用すればパンタグラフを菱形からシングルアームに換装したり、ドアを塞いだり、車体を塗り直したりできるようになります。そのあたりの上級編については気分次第でまた今度。

 

  • 総括

つらつらと持論を織り交ぜながら最近の趣味について語ってきましたが、こんなの結局制作者側のエゴであり勝手なこだわりなので実際のところ視聴者はそんなところ気にしてないんですよね。私も他の作者様方の動画についてケチをつけることはしませんし、それぞれの色として考えています。

興味を持った方はやってみるのもいいと思いますが、自分がやっているからといってやっていない人に文句をつけるのはくれぐれもしないようにしてくださいね。

 

以上、最近やっている変なお遊びのご紹介でした。

 

saison報告

最近めっぽう更新をしていませんでした。

やる気がアレでした。アレです。


ココ最近は専ら合作関係の動画を作っていましたので、近々それに関する記事を投稿しようと思います。


なお、並行して単作も作っておりますのでそちらもお楽しみに。


売買菌


【備考】

ジパングの18番きらい

援護吐き出しクソエース

うんたら記憶でブログの開設が流行ってるので昔使ってたやつでも引っ張り出してブログ再開しようかなーと思ったんですが、IDやらパスワードやら忘れたので新規でアカウントを作ってみました。

飽き性なのですぐやめちゃうんじゃないかとは思うのですが何かあれば書き込んでみたいと思います。

 

なおこれを書いてる最中にお情けでセ・リーグに入れてもらっている草野球チームはエース(笑)が援護点を全て吐き出して心底気分が悪いですf:id:milktofu_415:20190803194515j:image