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陰口と偏見が織り成すアドベンチャー

祐徳電気鉄道という小さな会社を掘り下げてみよう

先日、SSB樺太あおぞら放送のチャンネルにて『「オレンジ」で祐徳電気鉄道の駅名を歌う』という動画を投稿させていただきました。

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これはいわゆる架空鉄道というやつで、「この地域に鉄道があったらどんなルートを通ってどこに駅が置かれるかな」などというのを妄想するものです。駅名動画を見る方々は一回は必ずやったことがあるかと思いますが、今回はそれを動画にしてみたという次第です。折角作ったのに視聴者の方々は分からないというのももったいないと思ったので現在時点で決まっている設定をいくつかご紹介したいと思います。

 

ちなみに、この記事を読まれる際はwikipediaの「祐徳軌道」「肥前電気鉄道」の項目と祐徳電気鉄道のルートマップを閲覧しながらだとより理解が深まると思います。

祐徳軌道 - Wikipedia

肥前電気鉄道 - Wikipedia

空想鉄道(ルートマップ)

 

  • 実在した2つの会社

この会社は私が完全に創作したというわけではありません。古くはこの地に「祐徳軌道」「肥前電気鉄道」という2つの会社が存在しました。鉄道院の長崎本線早岐・大村を経由していた(現在の佐世保線大村線にあたる区間)頃鹿島や嬉野といった藤津郡周辺は鉄道空白地帯であったため、長崎本線と接続できる武雄を起点に塩田・鹿島を経由し祐徳稲荷神社に至る参拝鉄道が建設されました。これが「祐徳軌道」です。この鉄道が開業した5年後、途中の塩田から分岐して嬉野温泉に至る「肥前電気鉄道」が開通し、旅客輸送が始まったとされています。

この2社は1930年の有明線(現在の長崎本線肥前山口諫早間)肥前山口肥前浜開業によって利用客が激減、翌年に廃止となってしまいます。

 

では、この2社が廃止にならずに現存していたらどうなっていたのでしょう?ここから始まるのが私の架空ストーリーです。

 

  • まずは力を合わせよう

おそらくこのままの状態では助成金が降りても廃止までは秒読みでしょう。ということでこの2社を合併させます。「祐徳稲荷神社」の要素を社名に残すことで少しでも参拝客を集めたいので、新たな社名は双方の名前を半分ずつ取って「祐徳電気鉄道」としました。旧祐徳軌道の路線を「祐徳線」、旧肥前電気鉄道の路線を「嬉野線」と呼称することにします。

ちなみにこの2線は接続していただけで線路規格も設備も全然違います。祐徳線は「軌道」という名前から分かる通り軌間914mmかつ非電化の馬車軌道由来の路線で、嬉野線は軌間1067mm・直流600Vの文字通りの電鉄線でした。最初に行わなければならないのは規格の統一でしょう。次世代の鉄道に肩を並べられるよう嬉野線の規格に統一、1950年までに祐徳線の電化と改軌を行いました。また、同時進行で駅の移設を行い、浜(現:大村方)・小舟津(現:泉通り)・上野(現:郷ノ木)・永島(現:宇宙科学館前)が1947年に、馬場先(現:白岩公園前)・松原(現:武雄高校前)が1950年に移設されました。

所在地が変更されることから移設と同じタイミングでほとんどの駅名が改称されていますが、馬場先だけ改称が1975年と遅かった理由に移設時点で既に「馬場先」という地名が消滅しており移設による影響がなかったためとされています(のちに武雄駅前の改称とともに現駅名に変更)。

 

  • 二度の経路変更

ルートマップをご覧になった方は鹿島付近・塩田付近の短い線路が気になるかと思います。これは二度にわたる経路変更で廃止になった区間です。

第一期は1959年の鹿島(現:電鉄鹿島)~五ノ宮間における工事で、高規格の車両を導入する際に旧線区間の急カーブがネックとなるために緩やかな線形にしたものです。旧線には北鹿島という駅が存在しておりこの工事で廃止を余儀なくされましたが、バスの本数増加により対応しています。

第二期は1962年の五町田(現:電鉄塩田)~宮ノ元間における工事で、こちらは拠点である鹿島から嬉野方面へスイッチバックすることなく通過できるよう嬉野線の起点を塩田(現:本塩田)から五町田に変更するというものです。この工事を機に五町田・塩田の駅名改称が行われていますが、これが行われる直前の動画をなぜか作ってしまったのでそちらも参照してみてください。

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1962年版の動画を見ていただくと分かる通り、本編よりも少し区間が長くなっていますね。これらは現在までの間に廃止になった区間になります。

先に廃止されたのが1968年の祐徳線武雄駅前(現:電鉄武雄)~高橋間。この区間国鉄佐世保線と完全に並走しており、運行頻度もあまり変わらないことから廃止となりました。この区間の廃止で会社合併前から存在した路線が廃止になるのは計4度目(合併前の祐徳軌道新渡支線・先述の経路変更2回)となります。

次に廃止となったのが1991年の嬉野線嬉野温泉~彼杵間です。この区間は佐賀・長崎県境の俵坂峠を越えるルートで線形が悪く、利用者も極端に少なかったことから廃止となりました。現在はバスによる輸送が行われています。余談ではありますが、この廃止で路線図が一新されることに際してバスセンター前→電鉄鹿島、祐徳門前→祐徳神社前の改称が行われています。

1991年以降は現在の運行形態となり、祐徳神社前発の電鉄武雄行/嬉野温泉行が交互に発着、途中の電鉄塩田で武雄行/嬉野行/神社前行の三方面が同時発着するようになりました。

 

  • 年表

つらつらと文章を書いてもいろいろと分かりづらいでしょうから、簡単な年表に纏めてみました。合併以前についてはそれぞれの会社のページをご覧ください。

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今回はとりあえず歴史編ということでこんなところにしておきましょう。運用とか車両とか、そういった話はまた気が向いたら書いてみようかなと思います。では、また。