豆腐屋の裏の倉庫

陰口と偏見が織り成すアドベンチャー

「西鉄北九州線」を復活させたい! ~北九州電気軌道 vol.1~

 こんにちは、牛乳豆腐です。ブログの更新は約2か月ぶりとなりますが、私が行っている架空鉄道について更新がありましたので押しつけがましくご報告したいと思います。

 私は福岡県北九州市の出身で現在に至るまで20年間ずっとこの街で暮らしています。世間では修羅の国と呼ばれているほど治安の悪いイメージがある北九州ですが、鬼が出ないのは勿論のこと、棘付きの肩パッドを装備した世紀末みたいなモヒカン連中もいません(まあ、鍵をかけた自転車が自宅の駐輪場で盗まれるぐらいの治安ではありますが)し、飲食には困らない上遊びに行けるような施設もそこそこあるので個人的にはいい街だと思っています

 そんな北九州市の交通はどのようなものかというと、東西に走るJR鹿児島本線を軸に大分方面にJR日豊本線、若松・直方方面にJR筑豊本線、田川方面にJR日田彦山線が伸びており、私鉄としては小倉駅から南に伸びる北九州モノレール、黒崎と直方市を八幡西区のニュータウン地域を経由して結ぶ路面電車規格の筑豊電気鉄道門司港地区の観光トロッコである平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線があります。また、現在鉄道が通っていない地域は西鉄バス北九州市交通局がバス輸送を担っており、福岡市と並んでバス大国となっています。実はこの街には2000年まで西鉄北九州線という名前の路面電車が走っており、京都市電廃止後から暫くの間日本最大規模の路面電車でした。2000年というと私が生まれる前のことなのでこの存在を直接目視したことはないのですが、今になって考えるとこの電車、非常に便利だと思うのです。というのも、門司・小倉・戸畑・黒崎と北九州市の主要拠点を抑えたうえに学校が立ち並ぶ到津・中原付近や新興住宅地となっている八幡東区高見付近に線路を持つため、通勤通学輸送や娯楽輸送に長けているのです。これらの路線はモータリゼーションの波にが押し寄せたことにより廃止となっていますが、現在も路面電車と共存の道を選んでいる九州の他都市や広島・富山・札幌などを見ると、手を加えれば存続の道をとれたのではないかと考えています。

 そういった経緯を踏まえながらこの西鉄北九州線存続計画のタネができたのが既に5年ほど前。忘れかけていたものを久々に思い出して昨年ごろから再始動させていたのですが、ついにその基盤となる路線図が完成しましたので発表しようと思います。

 

  • 新会社 ”北九州電気軌道”について

今回の記事についてはwikipediaのページ「西鉄北九州線」を閲覧しながら読んでいただくことを推奨します。→ 西鉄北九州線 - Wikipedia

また、新会社の路線・駅マップを空想鉄道様のページで作成しておりますのでそちらもご覧ください。 → https://railway.chi-zu.net/176229.html

 西鉄北九州線は門司(現在の門司港地区北端部)~折尾の北九州本線、大門~戸畑(若戸大橋直下付近)の戸畑線、幸町~中央町の枝光線、魚町~北方の北方線という4路線の総称であり、前述の筑豊電気鉄道は北九州本線に直通し途中の熊西から分岐する支線的な役割でした。他路線が標準軌である中、前身の会社が異なる背景から唯一狭軌での運行となっていた北方線が1980年に廃止になると、続くように本線の門司~砂津および戸畑線・枝光線が1985年に、砂津~黒崎駅前が1992年に、熊西~折尾が2000年に廃止となり、残った黒崎駅前~熊西が2015年に正式に筑豊電気鉄道の路線となり、西鉄発祥の地である北九州からその線路が完全に消えることとなりました。

 今回は本来であれば大幅に規模が縮小される1985年時点で、既に廃止となっている北方線(代替交通として北九州モノレールが開業)を除いた各路線を西日本鉄道から独立させ、子会社である筑豊電気鉄道と合併させることで新たな鉄道会社「北九州電気軌道」(愛称:北九電車)を設立します。この段階で本社は車庫があった砂津に置かれますが、後の1995年に砂津車庫閉鎖に伴う車庫機能の移転で本社も到津車庫隣接地に移ります。(砂津車庫跡地には史実通りショッピング施設「チャチャタウン小倉」が建設されます。こいつがないと市民として暇なので無理やり車庫を移しました。)その3年後1998年にはJR小倉新駅ターミナルビルが完成し、北九州モノレール小倉駅延伸と共に駅前地区が整備されたことで北九電車も小倉駅乗り入れを果たします。これ以降は半数以上の列車が小倉駅前交差点に敷設されたデルタ線を介して小倉駅バスセンター付近にある1面1線(支線自体は複線)の小倉駅停留所を経由するようになります。

 

  • 路線図ができた

 会社および路線の沿革については後々別の回でお話しするとして、途中の経緯を加味した2022年時点の路線図がこちら。

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北九州電気軌道 全区間路線図


車内ドア上部に設置している想定で作成しておりますのでかなり横長になっています。

画像が見づらい場合こちらをご覧ください。(Googleドライブに飛びます)→

KitakyushuErectricRailway_Map.png - Google ドライブ

 最盛期に9つあった系統を5系統に集約し、利用が多いと想定される系統のみ残しています。またこれに伴い中央町デルタ線の北→東を結ぶ定期列車がなくなりましたが、枝光線から到津車庫への回送列車や不定期で設定される北九州市総合体育館や到津の森公園方面への臨時列車が使用するため廃止にはしておりません。またこの中央町は上記のデルタ線を挟み西・東・北にそれぞれ乗り場が分かれていましたが、1999年に東田地区が開発されることに伴い北側乗り場を廃止して西側の乗り場に統合、枝光線と本線の乗り換えが同じ乗り場でできる構造になっています。一方で東側乗り場は「八幡東区役所下」停留所として独立させ、同名の停留所に二度停車することで発生する誤乗を防止しています。

 当社では区間運転を行う列車も系統番号を分けず、全区間を走行する列車と同系統とみなしています。そのため路線図ではA系統が門司車庫前(1992年の新車庫完成時に門司から改称)~折尾の通し運転となっていますが、日中に同区間を走破する運用はなく、門司車庫前発は到津車庫前で、折尾発は砂津で折り返す運用になっています(とさでん交通の後免線・伊野線のようなダイヤ設定)。B系統は列車の約半数が市立門司病院前までの運用で、門司車庫前方面はこの停留所を境に本数が減少する形です。C系統は戸畑線・枝光線を経由して小倉と中央町を結ぶ列車です。臨時ダイヤでは黒崎駅前・折尾まで運転することがあるため経由地に注意する必要があります。D系統は戸畑渡場(1999年に戸畑から改称)と折尾を枝光線経由で結ぶ列車です。一部列車には黒崎駅前で後述のE系統になり筑豊線へ直通するものもあります。E系統筑豊線黒崎駅前と筑豊線新中間(1985年筑豊中間から改称)・楠橋・新直方(1985年筑豊直方から改称)間で運転される列車です。朝夕は黒崎駅前でD系統戸畑渡場行になるほか、砂津まで延長運転されるものもあります。

 路線図内の赤色で示された停留所は日中ダイヤの折り返し駅となるものです。ここに表示されている停留所以外にも、門司駅前・大門・幸町・八幡駅前・三ヶ森でも折り返しが可能であり、日中時間帯以外や臨時ダイヤで折り返しが発生する場合があります。

 北九州電気軌道記事の初回である今回は皆さんに全体像を把握していただくため、路線図とダイヤについて書かせていただきました。すでにマニアックな記事ではありますが、今後は沿革や駅紹介などさらにコアな部分について記述していこうと思いますので、他人の架空鉄道話に興味があるというごく少数の方は今後の更新に期待していただけると幸いです。